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コースガイダンス


Yardage

Hole 1 2 3 4 5 6 7 8 9 OUT
PAR 3 3 3 4 3 4 5 5 3 33
Aグリーン BACK 128 208 165 290 90 221 488 475 168 2,233
REGULAR 117 188 145 270 80 215 478 452 147 2,092
Bグリーン BACK 110 210 143 300 100 226 498 495 152 2,234
REGULAR 100 190 123 280 90 220 488 472 131 2,094
HDCP 6 2 7 4 9 8 1 3 5 -



ローカルルール

 1. アウト・オブ・バウンズの境界は白杭をもって標示する。(その区域内でのプレーは禁止する)

 2. コース内の池はすべてペナルティーエリア(ラテラルウォーターハザード)とし、
  赤杭または赤線をもってその限界を標示する。

 3. ジェネラルエリアにおいて自己の球がその勢いで作った穴にくい込んでいる時は、
   罰打無しに救済の二アレスポイントにドロップすることができる。

 4. グリーン上においてパター以外のクラブの使用を禁じる。

 5. 全ホールにて、ティーショットがOBの場合、前方特設ティーより第4打目でプレーすることが出来る。

 6. 樹木保護のために、幹に巻かれている金網等の人工物(支柱を除く)は樹木と一体のものとし、
   障害物の適用は認められない。

 7. No.1グリーン右側の金網に並列している樹木は、その金網と一体のものとみなし、障害物とする。

 8. 上記以外は全てJGAのゴルフ規則による。



歴史あるコース

熱海ゴルフ倶楽部の開場は昭和14年5月28日。戦時下に作られた最後のコースでした。
当時はツルハシとモッコによる手作業で、雑木を伐採し根を抜き、その上に客土、芝を張っていきました。
地形を生かしたコースは人間の手作業と大自然とが生み出した芸術品です。
戦中、戦後の有為転変を乗り越えてきた歴史あるコースといえます。

熱海ゴルフ倶楽部 歴史年表
昭和14年 5月 熱海ゴルフ倶楽部が9ホールで開場。同年12ホールとなる。
昭和16年 12月 太平洋戦争勃発。
昭和17年 コースが横須賀陸戦隊の砲台基地として接収される。
昭和20年 8月 終戦。12ホールのうち3ホールは芋畑と化していた。
昭和21年 米国第8軍スペシャルサービスが接収、9ホールで復活。
昭和27年 5月 講和条約発効で返還される。その後、三井グループの保養地となる。
平成15年 7月 現経営の(株)熱海ゴルフに移る。

歴史のあるコース・熱海ゴルフ倶楽部



名コース設計家、赤星四郎による設計

赤星四郎
赤星 四郎 ( あかほし しろう )

東京神楽坂生まれ
(1895〜1971)


1926年(第19回)、1928年(第21回)日本アマチュア選手権の優勝者です。
末弟の六郎と共に名プレイヤーとして当時その名を馳せていました。
赤星四郎はやがてゴルフ場設計を始めます。最初の設計は代表作となった霞ヶ関CC東コースです。
以後、戦中戦後を通じて38ものゴルフ場を設計、名コース設計家として日本ゴルフ界の黎明期を支えてきました。
熱海ゴルフ倶楽部は1935年、熱海に別荘を持つ東京GC会員や市民の間から提案され、赤星四郎が設計することとなりました。







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